ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

【ゆっくりでいい、不快な気持ちを感じきる】

なんでも前向きに、
元気に生きていくことが
幸せだなことだと思っていました。
嫌なこと、不快な感情は
どうにかポジティブに解釈して
過ごしていました。

でも最近、
感情には良いも悪いもなくて
判断せずに味わって感じることが
自分を大切にすることだと
思うようになりました。


【不快な気持ちに対する様々な反応】

不快な気持ち、
特に悲しみや痛み、
さみしさと向き合うのは
一時的には心が痛むし、苦しい。

人によっては怒りに転換する。
まわりに八つ当たりする人もいる。
感じなかったこととして無視する人もいるし、
内にこもる人もいる。

でも、

"不快"な気持ちを誤魔化していると
"不快"な感情を明確に実感できないので
"不快"だと気がつかないまま
"不快"なことが繰り返される。


【全てと向き合う必要はない、でも逃げているといつまでも消えない】

生きていれば、
どうしてもすぐには受けとめきれない
悲しい出来事もあるから
すべてではないと思うけれど。

でも不快感と真正面から向き合わないと
新しい別の選択が出来ない。
怒りや無視によって
一時的に不快感が
消えたようにみえるけど
またあらわれる。
根本的な変化を起こすことができない。

【感情を誤魔化すと、激しく消耗する、だから感情を感じきろう】

そして"不快"な気持ちをごまかすには
大きなエネルギーを使う。

私もよくやる。
たとえば、
嫌な人に愛想よくふるまったり
興味のない話を聞くふりを続ける。
とても疲れる。

疲れると、どんどん、どんどん、
感覚が鈍くなっていく。
自分がわからなくなって、
まわりに流されるしかできなくなっていく。

だから、
不快なきもちはたっぷり感じきろう。

【無理せずにゆっくり、自然にその時が訪れるから】

でも、無理をする必要はない。
自分の本音がよくわからないこともあるし
無理しながら向き合おうとするほうが
ずっと危険だと思う。

不快な気持ちと向き合うのが恐いなら
いったん向き合うのはお休みにして
まずは自分を満たすことから
始めればいい。

引き寄せでも自愛でもNLPでも
手段はなんでもいい。

私は7年くらいかけて
自分で自分の心を
満たせるようになったころ、
悲しみや痛みと
自然に向き合えるように
なってきました。

向き合わない方が苦しいと
思うようになってきました。

【大切なのはその人だけのプロセス】

長かったです。
どうせならもっと
若くて元気な時間を
他のことに使いたかった。

でも私にとって必要なステップを
ひとつひとつ踏んでいくためには
必要な時間だったのかもしれません。
誰かと競争することでもないですね。
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自分と向き合ってきた7年間は、
その中で育ててきた私の心は、
大切な財産であり宝物です。

ami