ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

まぁ、いいやと思った。

恥ずかしい自分とか
消えちゃいたい自分とか
情けない自分とか
強情な自分とか
根性ない自分とか
弱い自分とか
さみしがりやな自分とか
繊細すぎる自分とかさ


なんかもう全部いいやって思った。
一生付き合っていこうって思った。


いいか悪いかじゃなくて
ただ自分が好きだから
大切だから


そうしていくことが
すごく自然に思えたから


今まで必死に隠そうとしてきたことが
なんか不自然に思えたから


そうすることにしようと思った。

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愛そうと努力を続けたことも愛だった

ちょっとしたことで自信をなくしたり
自分と人と比べて
卑屈になってしまったり

以前の私は自分に自信もなくて
愛情に餓えてたけど
どんなに愛を求めても上手くいかず
ついには疲れ果てて
人から愛情を
奪い続けるのが苦しくなって
(その時は人から奪っているなんて自覚はなかったけど)
しかたないから
自分で自分を愛そうと
決意しました。

でも、
自分を愛そうとしても
そもそも愛とは何かを
まったくわかっていなかった私は
愛し方もさっぱりわからなくて
ずいぶんと試行錯誤し
彷徨い続けました。

後になって気がついたのは
愛し方がわからなくて
悩んでいたけど
ものすごく不器用だったけど
それでも愛そうと努力を続けたこと
その行為そのものが
深い愛情のカタマリだったと
いうことでした。

自分のために自分を知ろうと
努力を続けたこと
よくわからなくても諦めずに
チャレンジを続けたこと

そんなふうに
自分にできる範囲で努力を
続けている姿を
内側の自分がずっとみていたから

いつのまにか自分の中に
自分との信頼関係ができていました。

人生の中に、
ほっとする瞬間が
増えていきました。

不安な気持ちや
卑屈な気持ちに支配されても
まあ、大丈夫かな~って
気持ちを切りかえたり、
立ち直りがはやくなりました。

以前より気楽に
人とコミュニケーションを
とれるようになって
気持ちも自由になりました。

たとえすぐに成果は出なくても、
不器用でも、
自分なりにできることを工夫して
行動し続けることも
愛情なんだなーと思いました。

長い時間をかけて築いてきたぶん
自分で自分を信じることが
出来る気がします。

すぐに成果を求めずに
育てていく感覚を
これからも
大切にしていきたいです。
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ami

正しくて完璧な自分を諦めた先にある幸せ

自分のことが嫌いだった私は
自分への愛情を育てていくなかで

どんな人にも
もちろん自分にも

表と裏があって
ずるさや弱さがあって
どうしようもないところが
たくさんあること

人間はきれいなだけな存在じゃないんだと
気がついていきました。

以前の私は潔癖過ぎました。
清く正しい存在でありたいという思いが
そうあらねばならないという
思いが強すぎて

私は自分に自信がもてなかったし
自分を知られたくなかったし
自分を理解したくもなかった。

自分のダーク(だと自分で思いこんでいる)な部分を
何とかして葬り去ろうと
必死でした。

でも、人間ってそんなに完全じゃない。

いびつで歪んでるし
平気で嘘もつくし
矛盾だらけだし

でもそれでも同じくらい
優しさや美しさもある。

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自分の中などうしようもない部分や
美しくない行動をしてしまう
心の痛みや背景を理解して
自分の中の葛藤や矛盾を認識して許したら

正しくあろうとしていたころの
表面的な優しさではなくて

まあ人間だからそんなの
一人一人ちがうし
誰にも癖や残念なところだってあるし
それでいいんだよ
その中でどうやっていくのかだよと
寛容になれて
つくりものじゃない優しさが
育ちはじめました。


ami

人間関係は相手を知ることからはじまる、と思った話

私は以前、
人並み以上に
愛されたい願望が強かったのですが
どうにもうまくいかなかったので

ある時
愛されることを諦めて
自分で自分を愛してみる努力を
始めました。


愛に餓えていた私は
愛し方を知らない人間だったので
大変でしたが、

最近ようやく、
自分の愛し方がわかってきて
愛って何か、
自分の言葉で語れるように
なってきたなと感じます。

自分の愛し方がわからなかった私は
自分を知ることから始めました。

自分が何が好きで何が嫌いか
何が心地よくて何か不快なのか
さっぱりわかっていなかったので

自分を観察したり
気持ちを言語化したり
試したり失敗したりを繰り返して
徐々に徐々に
自分を知って
自分の愛し方が
わかるようになってきました。

そうしてようやく、
自分がなぜ愛されなかったのか
わかりました。


そもそも人を愛するのは
とても根気がいるし
努力も必要でした。

それは相手に魅力があるとかないとか
そういう問題ではなく
愛する行為というのは
とにかく根気とエネルギーと
何より相手を理解する知性が必要でした。

愛するには、
「理解すること」
「知ること」
がとても大切でした。

相手を知らないと
相手を理解しないと
愛したくても愛することができませんでした。

でも私は自信がなくて
誰かの愛情を強烈に求めていたので
自分のことを知られるのが嫌でした。
そんなことしたら負けだと
思っていました。

だから強烈に愛情を求めていたのに
自分を開示してこなかったので
もし相手が私を愛したかったとしても
とても愛せるような状況では
なかったことがわかりました。


過去に自分に関わろうとしてくれた人達に
心から謝りたくなりました。

昔の私はずいぶんと、
横着で矛盾した状態だったことが
わかりました

また、
自分を愛するようになると
どういうときにどうしたら
元気になれるかわかるので
それだけで人生の不安が
とても小さくなりました。

そうして生まれた心の余裕が
あらたな愛情に繋がっていきました。
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さらにこの経験から
どんな人間関係でも
相手を知ることからはじまるんだと
わかりました。

あちこちで言われていることですが
自分との人間関係をよくすることが
幸せに繋がっていることが
納得できました。

知る習慣は
これからも大切にしていきたいです。

ami

体の声を聞き忘れていた

在宅勤務が続いていて
トイレまで10秒しかかからないし
動くことがほとんどなくなって
勤務中は机にかじりついているような
日々です。

どうにも腰の調子が悪く
集中が続かなくなってきたので
最近、毎日ストレッチやらヨガやら、
そしてちょっとだけ
筋トレをやるようになりました。

そうしたら、だんだんと
体から声がしていることに気がつきました。

生まれてから今までずっと一緒にいた体
自分の肉体でしたが
声を発していたことに気がつきませんでした。


まあ・・・声がするというのは例えでして

体の状態に耳を傾けるというか
体をよく観察して、
体の言い分も聞いてあげるというか
そんなイメージでしょうか。

私の意識決定は圧倒的に思考が優位で
正しいとか効率重視、
矛盾していないものや根拠があるものを
喜んで選びがちです。

ただそれだけでは心のバランスを崩してしまって、
いろいろと苦労や葛藤を重ねながら
心とか感情にも意識をむけられるようになって
今では状況によって、好きとか楽しいからとか
なんとなくとか、気分や感覚でも
意識決定できるようになってきました。

これでバランスが
とれていると思っていたのですが

どうやら体にも
主張があったようです。


毎日同じような動きをしていると
筋肉の状態が違っていることに気がつくし

その時に体が求めている
動きをしてあげたり
筋肉を動かして
それがぴたっとはまると

体だけじゃなくて
思考も心もスッキリしてきて
バランスが整うみたいです。

筋肉が緩んで心がふんわりして
集中力がわいてきます。

いくら深く思考して
感情に寄り添っても解決出来なかったことが
数分のストレッチで回復したりします。

私は運動が大嫌いで体がすごくカタくて
今までほとんど動かしてこなかったので
どうも自分の肉体を
ほとんど認識していなかったようです。

疲れたとか眠いみたいなざっくりしたものを
キャッチしていたくらいでした。


でも、体って本来はもっと
繊細なものなのですね。


思い出してみれば、
会社の人間関係に苦労していたころ

頭では頑張らなきゃって思うのに、
もっと頑張りたいって感情では思うのに
どうしても体が
言うことを聞いてくれない・・・

なんてこともあったなあと思います。

筋トレがただのブームで終わる気配がないのも
なんとなく頷けました。

当たり前すぎて普段は意識しないけれど
肉体は人間が人間らしく生きるために
とても大切なものだなと思います。

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これからは、
肉体の存在をちゃんと認識して
筋肉をいい状態にしながら
心や思考とバランスをとっていきたいなと
思います。



ami

10代の頃に好きだった曲を聞いて思い出したこと

子供の頃に大好きだった本や

10代の頃に聞いていた曲は
どうして特別なんだろう。


Amazon musicのおすすめで
BUMP OF CHICKEN
天体観測が流れてきた。

10代の頃は飽きるほど聞いたけど
聞くのは数年ぶりだと思う。

少し聞いただけで
10代の頃の感情がよみがえってきた。

あの頃は今以上にたくさんの
悩みと不安と心の痛みを抱えていて
そんなに幸せじゃなかったけど
行動だけはしていたなと思う。

まだ自分が何が得意で
何が好きかなんて知らないし
何も持っていなかったから
不安で不安で
必死に何かを得ようとしていたし
何者かになろうと必死だった。

チャレンジするしか選択肢がなかった。
後ろを振り返っても崖しかないから
前に行くしかなかった。


あの頃の必死さが
今の自分にあるのだろうか。

先を予測し計算する。
場を読み、気を使う。

後ろを振り返れば
自分でもまぁそこそこ
満足できるポジション
社会的にもまぁ
きちんと働いていると評価がもらえる
ポジションがある。

いつの間にか
無鉄砲な行動をしなくなっていた。
先を読み、空気を濁さない
行動ばかりになっていた。

でも今の私があるのは
無鉄砲に行動してきた
過去があるからだと思う。

あの頃は、
悩みながらもワクワクすることを
止めなかった。

今はきっと、
ワクワクすることを避けている。
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今はまだ、過去の貯金で
そこそこ楽しい人生を生きている。

でも先が読めなくて少し危険だけど
想定外の面白いことが
起きるかもしれない選択を
やめてしまったら

いつか人生が停滞してしまう。

10代の頃の感情を
もう一度思いだそう。

ami

幸せの基本セット

今朝、
なんとなく過ごした
地味な時間が
思いがけずたまらなく幸せでした。

そして今朝やったことが
幸せのベースとなる
基本セットなのかもしれないと
ふと思ったので
書き留めておきたいと思います。

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まず、今朝やったことは

1)暑くなる前に外に出て、
約3キロ歩いて汗をかき

2)家に帰ってお風呂にはいり

3)炊きたてのごはんと豚汁を食べる

という3つの内容。
繰り返しになるけれど、
かなり地味なもの。

いったい何が
幸せだったのか、
ひとつひとつ要素を振り替えると

1) 体を動かすこと、鍛えること、汗をかくこと

2) 体を休め、清潔にしてあげること

3) 作りたてのあたたかい食べ物を食べさせてあげること

の3つ。

過度な依存症などがなく
心身がある程度健康な状態であれば
この3つを
体に与えてあげることが
幸せの基本セットなのかなと思います。

この基本セットをベースに、

音楽とか芸術の要素だったり
学びだったり冒険だったり
おしゃれだったり
コミュニケーションだったり

個人の個性や状態によって
プラスしたりマイナスしていけば
効率的に幸せな気分に
なれるのかなと思いました。

人間は機械ではないから
ルールなんて無視して
思いっきり身体に悪いことをするのも
ダラダラするのもまた
幸せだったりするので
飛躍し過ぎな気もしますが。

幸せに効率性を求めるのも
なんだか悲しいですしね。

でもとにかく今朝は、
地味な時間が幸せ過ぎて
最高でしたので

幸せの3つの基本セットは
覚えておこうと思います。

ami