ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

"らしさ"の押しつけについて

"女の子らしくなりなさい"と
母親に言われながら育ってきました。

私は現在、
どちらかと言えば女性らしいと
言われることが多いです。

でも子供の頃は
"女の子らしさ"を押しつけられるのが
何だか苦しかったです。

高校生の頃は、
わざと乱暴な言葉を使っていたり
モノを雑に扱っていましたし

大学生になっても
スカートは持っていなかったり
男性用のSサイズの服を
好んで着ていた時期もありました。

鋼のような強靭なメンタルが欲しくて
精神的にも自分を
厳しく律していました。


当時は自分が"女性的なものや振るまいが
嫌い"だと思っていましたし、
女性として扱われるのも不快でした。


でもいつからか、
そんな謎の抵抗をやめて
"らしさ"にこだわらなくなりました。

好きなようにすればいいじゃん!と
考えるようになりました。

結果的には女性らしいと言われることが
増えました。

なので学生の頃のあの謎の反抗の理由が
ずっと気になっていました。

なんで私自身の本質は
自分が女性であることが
嫌ではなかったのに
あんな無駄な抵抗をしていたのだろうかと。


その理由が、
ここ数ヶ月で
自分の感性を大切に出来るようになって
理解できました。


感性は人それぞれで
個人差がものすごくあることに
気がついたからです。

私が母親から押しつけられたのは
"私の中の私だけがもつ女の子らしさ"
ではなくて
"母のイメージする一般的な女の子らしさ"
でした。

母は私の中の私らしさを
感じられるような洞察力を
もっていない人でした。

でも感性が人によって様々なように
女の子らしさとか女性らしさって
傾向はあっても人それぞれ大きく違う。

私が反抗したのは、
"私の中にある女の子らしさ"を
母が見向きもせずに

"母のイメージする女の子らしさ"を
押しつけられたからだったのかなと
思います。


私の母は個性を尊重するような
柔軟性のあるタイプでは
ありませんでした。

第一子だったから
必死で育ててくれたのかもしれませんが。

でも自分自身をみてもらえないのは
とても孤独でした。
私がありのままの自分が
よくわからかったのは
このあたりの親子関係に
背景があるのかなと思います。

男とか女とか年齢とか、
いい子とか扱いにくい子とか
どの地方出身とかどんな職業だとか
そんなふうにカテゴライズしないで

"その人らしさ"を大切にできる人間に
なりたいなと
そんなふうに思います。
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ami