ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

【母と私の境界線、30代の親離れ】

親元を離れて暮らしはじめて
10年以上たちました。
親からの経済的な自立も果たし
人生の大きな決断も自分でしてきた私は
とっくに親離れが
出来ていると思っていました。

でも、長年抱えている
生きづらさと向き合う中で
精神的な親離れが
まったくできていないと
気がついたので
現状を振り返り
これからどうしたいかを
考えてみようと思います。


目次

(1)恵まれた家庭環境と今

(2)恵まれた家庭環境に育ったのに、
生きづらさを抱えている現実

(3)極端な我慢や自己犠牲の癖

(4)我慢があたりまえになった背景

(5)お母さんはいつも苦しそうだった

(6)母が好きすぎて母にとらわれていることに
気がつかなかった

(7)母との境界線をひく

(8)自分の人生を生きよう

(9) まとめ


(1)恵まれた家庭環境と今

私の育った家庭は
特別なお金持ちではありませんでしたが
かなり恵まれた
環境だったと思っています。

穏やかな性格の両親のもと、
衣食住は満足に与えられ
命の大切さや人への優しさを学び
世間に流されずに
自分の頭で考える大切さを学び
日常会話やレジャーの中で
科学や歴史、芸術などの教養にも触れ
季節の行事を家族で楽しみ
図鑑や習い事や進学など、
自由に学びたいことを
学ばせてもらいました。

家庭で与えてもらうべきことのほとんどを
私は満足に与えてもらうことができました。
両親には感謝してもしきれないです。


(2)恵まれた家庭環境に育ったのに、
生きづらさを抱えている現実

こうやって振り返ってみても
自分が生きづらさを
抱えている理由も
アダルトチルドレン
傾向がある理由もよくわかりません。

それでも、本格的に生きづらさと
向き合いはじめて約6年
少しずつ改善はされているものの
大きな変化はおきていません。
この6年、考え方や悩みのほとんどは
人間関係や自分の不甲斐なさのことばかりでした。
きっと何か理由があるのだろうと、
ぼんやり考えていました。


(3)極端な我慢や自己犠牲の癖

私が生きづらさを感じてしまう理由の1つに、
必要以上に我慢する癖や
すぐに誰かの犠牲になる癖があります。

子供の頃はいじめられっ子だったし
社会人になってからはハラスメントを受けたり
損な役回りになることが多いです。

最近だと権利を主張して義務を果たさない
妊娠した年下の同僚のあけた
仕事の穴をカバーするために
未婚の自分が負担を負って
体調を壊すなどの
理不尽な経験もしました。
会社に状況を説明して
配慮をお願いしても、
彼女は大変なんだから
協力してあげて、
としか言ってもらえませんでした。
(その人の声を聞くだけで、
今でも苦痛がよみがえり
涙が出ます。)

このような理不尽な経験を
繰り返す中で、
ようやく、
私の我慢や自己犠牲の仕方が
何かおかしいと
気がついてきました。


(4)我慢があたりまえになった背景

思えば子供の頃から、
我慢強いと言われてきたし、
空気を読み
大人の言うことをよく聞く
いい子ちゃんタイプでした。

私の極端な我慢、犠牲の癖ができた理由は
幼少期の経験に背景があると思い、
親子関係を振り替えることに
しました。


(5)お母さんはいつも苦しそうだった

私の母はあまり会話をしないタイプです。

子供の頃のうっすらとした記憶をたどると
母はよく何かに思い悩み、焦り、独り言が多く、
よく何かに不安がっていました。

今思えば、
母は気持ちを言葉にするのが苦手で、
感情の整理が
うまくできなかったんだと
思います。

私はそんな母をみて、
これ以上お母さんを困らせないようにと

甘えたい気持ちをぐっとこらえ
いい子でいようとしたようです。

感受性が強く
HSPの傾向が強いので
母の様子からいろんなことを
感じ取っていたのだと
思います。

我慢したら
いつかお母さんが
かまってくれる。

お母さんをこれ以上苦しめたくない。
お母さんがいつも苦しそうなのは
私のせいだ。
だから私は我慢しないと。
だから私は頑張らないと。
お母さんを助けないと。

そうやって、
感情を受けとめてもらうことも
抱きしめてもらうことも
いつの間にか諦めていました。
当たり前過ぎて、
諦めたことを忘れていました。

子供らしい感情は諦めて
感情を隠して
人に遠慮して
自分のことを後回しするようになりました。

我慢して犠牲になることで
心の痛みを隠していました。

私の言葉はお母さんに届かない。
私は受け入れてもらえない。

母を救いたかった私は
悲しみを隠して
つらいことも平気なふりをして
母の手間をかけないように
生きるしか方法が
わかりませんでした。


(6)母が好きすぎて母にとらわれていることに
気がつかなかった

意識はまったくしていませんでしたが
私は母が大好きでした。
私は今も
母の愛を得ることが
人生の最大の喜びだった頃と同じように
母を助けるために生きていた頃と同じように
生き続けています。

性格診断だと
私は奉仕の精神が特別強いわけでもなく
誰かの役に立つことに喜びを感じる
タイプでもないのに
義務感やこびりついた習慣から
目の前の困っている人や
傲慢で身勝手な人を
自分を犠牲にしても
助けようとします。

困っている人や
傲慢で身勝手な人を
苦しんでいた母の姿に重ねあせて
自分の心からの感情ではなく
何も考えずに反射して
助けているようです。

子供の頃からしっかりしてると
言われてきた私は仮の姿で
本当の私はかなりの甘えん坊で
40歳を目前に控えても
親離れが出来ていませんでした。

本当は母にいつでも愛情を示してほしかったし、
優しく抱きしめて欲しかったし、
話を聞いてもらって
共感してもらいたかったです。
たくさん一緒に笑いたかったです。

母への未練がたらたらでした。

f:id:amimia:20190427185231j:plain


(7)母との境界線をひく

私が幼い頃の母は
様々な悩みを抱えていたようで
でもそれを表現したり
解決したり助けを求めることが苦手で
よく自分の殻にこもっていました。

母は母なりのやり方で愛してくれたけど
それは私の望むカタチじゃありませんでした。

私は母とは違う人格をもつ
一人の人間なので
それは仕方のないことだと思います。

それに、私と同じように
我慢癖のあった母も
今では毎日が我が儘三昧で、
世話好きな父を困らせて
喜ばせているようです。
2人のやり取りをみていると
微笑ましいです。

もう母を心配しないで
自分の人生を生きていこうと思います。


(8)自分の人生を生きよう

母は私を
たまにしか受けとめてくれなかったけど
私の言葉はめったに母には届かなかったけど

世の中の人みんなが母と同じなわけじゃない。

心をわかちあえる人や
私の言葉をうけとめてくれる人もいる。

だからこれからは
母と境界線を引いて
母を助けるためではなく
自分の幸せのために
生きていきたいです。




(9)まとめ

私はずっと恋愛が得意じゃなくて
私には人を愛する力がないんじゃないかと
思っていました。
でも違った。
私の中に、
母を慕い、母を愛する優しい心が
ありました。
ただ、我慢や犠牲が愛だと勘違いして
時間がとまっていただけでした。

もういい加減に親離れをして、
自分の人生を生きていきます。

ami