ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

【自分が思っているよりずっとたくさんの生きづらい人がいるのかもしれない】

学生時代の大切な仲間が
もう二度と帰って来れない場所に
行ってしまったようだ。

しばらく疎遠だったから
詳細はよくわからないけど

どうやら自分で
向こう側に行ってしまったようだ。


私は長年生きづらさに悩み
最近ではこのブログに
気持ちや考えを
書き込むようになった。

そんな自分を
かわいそうで、不運で、
すごく珍しい人間のように
思っていた。

でもそれは思い過ごしで
世の中には自分が思っているよりずっと
たくさんの生きづらい人が
いるのかもしれないと思った。

**

その人は私からみたら
明るくて楽しくて
たくさんの友人に囲まれて

冗談をいってはしゃいだり
時に学生らしい
ちょっとした悪さをしたり
勉強もそこそここなし、
いわゆるリア充そのもののような
感じだった。

毎日不安に包まれながら
暗い顔をして
真面目に学校に通っていた自分とは

別の種類の人間だと
思っていた。


ただ一度だけ、
一般的なお調子者な男子学生とは
違う一面をみたことがあって

その時にかけてくれた言葉は
今でも私の支えになっている。


ずいぶん成熟した精神を
もった人なんだなという
印象を受けた。


でも、あまりにもいつもの
お調子者のイメージが強くて

たまたま気まぐれでかけてくれた言葉か、
単なる女好きの延長で発した言葉を
私が大げさに解釈しただけかもしれないと思って、

それ以来、その人と
深い話をすることはなかった。


でも、あのとき一瞬垣間見た姿は
気まぐれとか女好きみたいな
安っぽさで片付けられない

彼を形成する重要な
一面だったのかも知れないと

今回のことで思った。


彼が何に苦しみ傷つき
もがいていたのか、
詳しくは知らないし
もう聞くことは出来ない。


ただ、
感性の豊かさや繊細さ、
正義感や知性などの
彼独特の個性が

社会で生きていくときに
彼を苦しめてしまったようだ。

悲しいことだ。



どうしてあんなに、
学生時代に
キラキラ輝いていた人が・・・
と思ってしまうが、

同時に気がついたのは
私は人を表面的なことでしか
判断していなかったということだ。

表面しかみていなかったことで
彼は自分とは別世界の人だと決めつけて
話す機会を持てなかった。

何より私は
自分が苦しいのに精一杯で
被害者意識が強くて

自分以外の誰かの繊細さに
興味をもってこなかった。


特に男性は、
わかりやすい強さや逞しさが
求められることが多いから
自分の繊細さを隠している人が
たくさんいるのかもしれないし

自分の繊細さに気がついていない人もいるだろう。

表面をみただけではわからなくても
苦しんでいる人は、
私が思うよりずっと、
たくさんいるんだと思う。


"自分は繊細だから特別"
みたいな感覚はもう手放そうと思う。

私だって一人の人間なのだ。
特別扱いはやめよう。


ami