ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

他人に反応しない方向について考えてみました。

人を裁くような生き方はしたくないし
人をコントロールするような接し方は
したくないなと思います。

考え方ややり方、ペース配分の違いを
尊重できる人でありたいと思います。

そうあれるように、
自分を客観的に観察していきたいと思います。


人の心はそれぞれ違う個性があるけれど

例えば
感情は無視しないで
しっかり感じた方がいいとか
自分の汚いところやしょぼいところも
認めてあげた方がいいとか

一般論としていくつかの
幸せになるためには"こうしたほうがいいよ"
があって

過去に大きな生きづらさを抱えていた私は
そういったアドバイス
時間はかかっても素直に実践してきたので

あの頃の私によく似た人や
自信がなさそうな人
仕事や他の何かに依存的な人
犠牲的な生き方の人
他人に対して威圧的な人
極端に自分を追い込んでいる人
感情を感じないふりをしている人・・・
などに遭遇すると

自分の中にある常識
"◯◯は正しい"
"◯◯を実践してない人はNG"
を強く感じてしまって、

"目の前のNGな人を変えなければ"
という思考回路になってしまうことがあります。

でも、私は生きづらさから抜け出したかったから
葛藤はあっても素直に受け入れたけど

苦しみや痛みにしがみついてる方が
幸せな人もいるのかもしれないし

そもそも生きづらさを
抱えていないのかもしれなくて

抱えていいたとしても
問題視していないのかもしれなくて

さらには苦しいと訴え助けを求めているのに
本心では変わる気がない人もいます。
そういう人は
受けとめられるようになるまで
時間が必要なのかもしれません。

だから私の中の"正しい"や
"実践してよかったこと"
を押し売りするのは間違っていて

押し付けてしまうと
自分も相手もハッピーにはなれないんだと
何度も自分に伝えて

無意識に人をコントロールしようとするのを
やめたいなと思います。


自分を追い詰めている人って
接していると私も苦しくなってしまうから
そこから逃れるために
無意識に相手をコントロールしようとしちゃうのかなと思うのですが

そんなことより
出来るだけ距離をおくことの方が大切ですね。

そしてもし
接していて苦しいと感じてしまう原因が
自分自身にあるとしたら

生きづらさを感じていた頃の私を
私自身が今もNGだと思っていて
だからその頃の自分にどこか似た状態の人に
接すると
NG判定してしまうのかもしれません。

思い返せば
生きづらさを感じていた頃の私は私で
その時の喜びもあったし
素敵な人達にも出会えたし
結構頑張っていて
夢を叶えたりしていたし
その時の頑張りに今も助けられているし
私には必要な時間でした。

NGではないですね。
大切な思い出であり
大切な自分自身の一部です。

人は教科書通りにはいかないことも多いし
不器用な人も弱い人もいる。
回り道がどうしても必要なこともあります。

目の前で起きている出来事だけで判断せずに
目には見えない背景や事情があることや
長いスパンで物事をみることを意識していれば

他人に過剰に反応せずに
自然に自分自身に集中できて

誰かを"正しい状態"だとか
"是正しなきゃ"とか

必要のない判断を
することもなくなるのかなと
感じました。

他人への過剰な干渉は
エネルギーの無駄遣いですね。
自分の幸せに集中しよう。

ami