ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

「私、ちゃんとしてます。」人に対する私見

「私、頑張ってます。」
「私、バリバリ仕事してます。」
「私、ちゃんとしてます。」

まったくの個人的な感覚なのですが
そういう方々特有の

窮屈さや重さが
なんだか不快だなー。

文句はないけどなんか苦しいな。
正しいんだけどなんかおもしろくないな。
と感じることが最近増えました。


なんで窮屈に感じてしまうのか、
それは彼らが不安を消すために
頑張っているからなのではないかと
考えています。

私自身、どちらかというと
「私、ちゃんとしてます。」
という系統の人間で
なんで「ちゃんと」するかというと
不安だから、怖いから、
文句を言われたくないから、
認められたいから・・・。

心の底に、
そんな弱さや欲望が溢れているのに
それを隠したくて

強くて純粋無垢な自分を
必死に演じているからです。

無意識にやっていたので
自覚はありませんでした。
子供の頃から繰り返してきた
癖みたいなものです。


でも、等身大の自分で生きようと決めて
考え方や行動を選びなおして
自分自身に優しい気持ちを向けたり
自分のことを客観視できるようになってきて

不安を圧し殺して隠すのではなく
不安をうまく飼い慣らしながら
自分や相手の弱さも受け入れて生きたいなと
思うようになってきて

「私、ちゃんとしてます。」人特有の
重さや窮屈さを感じるように
なってきました。


「私、ちゃんとしてます。」人は、
一見、タフで柔軟で気が利いて賢くて
完璧に見えますが

接していて気を遣います。
思春期の繊細で揺らぎやすい
女の子と接しているようで、
いつ癇癪をおこすのか
いつ泣き出すのかわかりません。

うまくいっている時は
勇ましくて頼りになるけれど
それは必死で造り上げた強さなので
ちょっとしたことで壊れて
傷ついてしまい
感情の起伏が激しくて
嵐のように暴れまわるので
周囲にネガティブなエネルギーを
撒き散らします。
距離を間違えるとまわりの人まで
破壊されてしまいます。

でも彼らは自分を
「ちゃんとした人」
「私は頑張ってる人」と思っているので
自分がまわりを
破壊していることに気がつかずに
自分が蒔いた種とは気がつかずにに
うまくいかない理由の全てを
周りのせいにします。

そして彼らの多くは
誰かに文句を言われないための能力に
重点を置いて発達させてきたので
自分の感情を感じたり
自分の心の状態を客観視する力を
あまり発達させていません。

なので、
感情の発作を起こした時に
感情をう◯このように
まわりに撒き散らしていることに
気がつくことができません。

私は、そんな
「私、ちゃんとしてます。」人に対して

例え立場が自分よりも
上の方であったとしても
まだ大人になりきれていない子供として
接することにしました。

冷たいようですが、
自分を守るための選択です。

もちろん、
表向きには大人として接していますが。

そして私自身もまだまだ
「私、ちゃんとしてます。」人的な
発作をおこしそうになることがあるので

力の抜き方やゆるみ方を学びながら
周囲と調和して
心を成熟させていきたいなと
思います。


ami