【続・「なんとなく」って、実はすごかった】
感性や感覚を大切にすることを忘れてしまって、
頭で考えることを優先し、
根拠や効率にばかりとらわれてきた私が、
『“なんとなく”ってすごいかも。』
と気がついた話の、続編です。
ものすごく小な
“なんとなく”こそ、
大事なのかもしれないぞと
実感した出来事を振り返ります。
***
〈ある朝ふと、苺が食べたくなりました〉
今年の3月、4月くらいのある休日の朝のこと。
まだ半分寝ぼけた頭で
朝食を作っていたときでした。
『あ、なんか苺が食べたいな~』と、
ふと突然思いました。
じゃあ今日は夕方にスーパーに行くから、
ついでに苺を買うかな。
そんなふうにぼんやり考えていました。
そして買うものリストに“苺”と、
追加。
その後、苺のことなどすっかり忘れて
休日を謳歌していました。
〈夕方スーパーにいくと・・・〉
夕方スーパーに買い物に行くころには、
苺を食べたい気持ちは、
すっかり冷めきって、忘れていました。
そもそも、私は、苺が、
特別好きなわけではありません。
買い物リストをみながら苺コーナーにきたものの、
「苺はすぐ傷むから日持ちしないし、
コスパもよくない。
そもそも、今は朝ほどに苺が食べたいわけじゃない。
苺よりコスパのよいフルーツはたくさんある。
よし、苺じゃなくてほかのフルーツを買おう!」
そうやって、
いつものように頭で判断しました。が・・・。
〈思いとどまる〉
ところが、ふっと思い出しました。
『「なんとなく」って実はすごかった 』という気付きを得たばかりのタイミングだったのです。
詳細はこちら↓
https://amimia.hatenablog.com/entry/2018/05/27/134610
また、ここであえて、
『朝にふと一瞬だけ食べたくなった
苺を食べてみたら心にどんな現象が
おこるのか』興味をもち、
実験してみたくなりました。
〈あえて、苺を買う〉
よし、ここは、あえて“苺”にしてみよう。
よくわかんないけど、
何かがわかるかもしれないから。
と、いつもと違う選択をしてみました。
〈苺を食べてみた〉
そして夕方、
特別食べたいわけではなかった苺を。
別にみかんでも、りんごでも、
キュウイでも、ブドウでも、
何でもよかったけど、
あえて買ってみた苺を
食べてみたら・・・
(//∇//)
はぁ幸せ・・・。
驚くほど満たされて、
幸福な気持ちになりました。
うまく言葉で表現出来ないのですが、
映画や音楽にふと感動して、
胸があつくなる感覚に少し似ていました。
〈“なんとなく食べたい気持ち”はまだ、心に残っていた〉
あれ、苺は別に食べたいわけじゃなかったって
思ってたのに、
気が変わったって思ってたのに、
こんなに幸せな気持ちになるなんて、
なんだろうコレは・・・。
驚いたぞ。
朝にふと思い立った
『なんか苺食べたい』気持ちは、
まだ心の中に残っていたっぽいぞ・・・。
〈小さな気持ちも大切にしよう〉
この出来事を機に、
自分を幸せにしてくれる心の声、
“なんとなく”は、
呆れるほど小さい声なので、
注意深く観察していないと
簡単にかきけされてしまうものなんだと。
そして思考にとらわれて
認識はできなくなってしまっても、
心の中には残っているものなのだなと。
理解しました。
今年最初の、モロヘイヤ♪
〈まとめ〉
“なんとなく”のお知らせは、
とても微かで、
『あ、なんか苺が食べたいかも~』
みたいな感じで、
中身がなかったり
重要そうじゃないことも多くて。
冷静に頭で判断すると、すぐに消えてしまう。
だから、ふと思ったことは
メモに書き留めて、
大小、優劣をつけずに
とりあえずやってみよう。
頭で計算しただけでは
予想できないような大きな何かが
含まれているかもしれないから。
ami