ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

【無意識の思い込み・家族のあり方について】

無意識の思い込みのせいで
ものごとがうまくすすまなかったり
思うように行動できなくなるという話を
最近本などでよくみかけます。

先日家族とちょっとした喧嘩をして、
すぐ仲直りをしてしまうような
ちっちゃなちっちゃな
可愛らしい喧嘩だったんだけど

その喧嘩をきっかけにして
家族に関する
無意識の思い込みに気がついて

そりゃーなかなか
人生が上手くいかないわけだと
納得したので
振り返ってみたいと思います。


私は最近、
大きく環境が変わって
考え方や生き方も
ちょっとした成長期にいます。

それをある家族がさみしがって
ちょっとした抵抗にあいました。

・なんかいつものamiちゃんじゃない
・やだやだやだ
・雰囲気が違う
・もう必要としてくれない

そんな感じでした。
その家族は、
とても優しく、
私以上に繊細で感受性が強く
苦しい時期に
全力で寄り添ってくれました。

いつも暗くて落ち込んでいた私が
苦しさから抜け出して
機嫌よく過ごしている姿に
戸惑ってしまって
感情が乱れてしまったようです。

そんな家族の抵抗に
私は必要以上に寄り添ってしまって
自分がその日に
やろうとしていたことを
キャンセルしてしまうくらい
たまらなく疲れてしまいました。

家族って距離が近いから
遠慮が少ないし、大切だし、
距離感がわからなく
なってしまうことが
私はよくあります。

私は自分の本心と
正直に向き合ってみました。

そうしたら、
誰より自分の気持ちに
寄り添ってくれた家族だけど
今後も私の成長をひきとめるなら
距離の取り方を
変えるしかないと感じました。

冷酷な自分に嫌になりながら
家族ってなんだろう?と
考え続けました。

私がこの小さくて
些細な喧嘩をきっかけにして
感じたのは
家族であっても
価値観は違うし
人格も違うということ。

争いのすくない、
比較的仲の良い家族だから
わからなかったけれど

私は今まで、
家族の中にいるときに
自分という一人の人格を
あまり意識していませんでした。

両親が作ってくれた
家族のカタチを
何の疑いもなく
受け入れていました。

両親が与えてくれた
幸せの枠の中で
どうやって幸せに生きるかを
模索していただけでした。

両親の幸せの価値観と
私の幸せの価値観は違うのに
両親が与えてくれた
幸せの枠だけが
世界の全てだと
思いこんでいました。

例えば家族のあり方だって
両親の望む幸せと
私の望む幸せは
枠のカタチも大きさも
材質も違うのに

私は無意識の中で
必死で生まれた家族の枠に
あわせていました。

私が育った家族は
虐待などもなかったし
大人になった今は
強制されているわけでもないのに
だから自由に出ていけるに

家族のあり方は
ひとつしかないと思いこんで
自分で新しくつくるという
発想がありませんでした。

今は未婚ですが、
例えば結婚して子供ができていたら
自分が育った家族と
まったく同じ家族のカタチを
つくろうとしたんじゃないかと
思います。

家族のカタチもあり方も
私と両親では
望むものが全然違うのに、

幸せのカタチは
ひとつしかないという
思い込みの枠の中で
幸せをになろうとしていたから
幸せになれるはずなかったのです。


これからは、
育った家族にしがみつかずに
幸せのカタチや
家族のあり方を模索して、

自分が心から
心地よいと思える環境を
つくっていきたいと
感じました。

ami