ふんわり優しい暮らし

少しずつ心を解放しています。

【このままでは、時代が共感に飲み込まれてしまうのではないだろうか】

私は、自分の中の"嫌い"を
明確にしていくことで

世界にただ1人しかいない
"自分"の存在に気がつくことが
できました。

子供の頃から
まわりにわかってもらえないことが
わりと日常だった私。

それが嫌で嫌でしかたなくて

必死で空気をよみ、
まわりにあわせ、
普通の人になろうと
必死に生きてきてしまいました。

でもそんな無理した生き方に
限界がきて

自分の中の"嫌い"と向き合って
自分を取り戻したとき、

人に共感してもらえるって奇跡だと
わかりました。

自分の嫌いなものを
正直に拒否していったら

本当に共感できることって
僅かしかないと
気がついたからです。

と、同時に、
世界でただ1人の自分という存在が、
くっきりと見えてきました。


SNSが発達し、
個人が自分のメディアを
持てるようになった今の時代は、

共感の時代だという
分析もちらちら耳に入ってきて

単純に興味深くもあるけれど
疑問も感じます。

本来共感って、
意図的につくるものじゃないのに、
自分の心を曲げて
共感を意図的に誘導して

それをゲームやビジネスとして
楽しめているならいいけれど

過去の私が
若い頃の時間を
無駄にしてしまったように

自分で自分を評価したり
自分自身の存在を
感じられなくなる人が
不必要に
増えてしまうのではないかと
少し心配です。

本来、人の感情は、自由で個性的で、
だからこそ人は、とても孤独な存在なのに

"みんな一緒"に
無意識に飲み込まれて
しまうのではないかと。

便利なものって
それを使う人の知性が
大切なんだなと
あらためて思います。

ami